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京都は、親鸞聖人がお生まれになり、幼年時代を過ごされ、また法然上人のお弟子であられた時や晩年にご布教に活躍なされた処であります。
京都、日野にてご生誕
源平の騒乱真っ只中の承安3年(1173)、親鸞聖人は京都・日野の里に生まれられました。父君は藤原有範。母君は吉光御前といわれます。聖人のご幼名は、松若丸といいました。
松若丸4歳の時、父君と悲しい別れをなされ、8歳の時にはお母さまが亡くなられたのです。孤独の身となられた松若丸は、伯父範綱卿のもとで育てられました。
出家得度
養和元年(1181)、松若丸9歳の時、京都東山の青蓮院を訪れ、出家得度を願い出られました。得度を明日にしよう、と言う青蓮院の慈鎮和尚に示されたお歌は有名です。
「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は桜の花よりも、はかなきものと、聞いております。明日と言わず、今日、得度していただけないでしょうか
出家の動機はただ1つ、「自分も必ず死んでゆく。死ねば、どうなるのだろうか」という切実な無常観でありました。
比叡山に登られた聖人は、「自分も必ず死んでゆく。死ねば、どうなるのか」、この生死の大問題の解決をすべく、決死のご修行を開始されたのです。
吉水の法然上人のもとへ
29歳を迎えられた親鸞聖人は、「天台宗法華経の教えでは救われない」と絶望され、ついに、下山を決意されました。
9歳で出家されてより、20年目のことです。
比叡山を下りられ、京都の街を夢遊病者のようにさまよい歩かれていた聖人に、四条大橋の上で声をかけてくる人がありました。ともに比叡で修行していた旧友、聖覚法印です。
この聖覚法印に導かれ、吉水に法然上人ましますことを知られた聖人は、暗い後生の解決を求めて、法然上人のもとへ赴かれました。
ご往生
親鸞聖人は弘長2年11月28日、京都で90年の波瀾万丈の生涯を閉じられました。
御臨終には聖人の末娘・覚信尼やわずかな弟子たちが立ち合いました。
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